こんにちは。暑かったり寒かったりで落ち着かない地球です。ゆうです。
前回は「恋愛の秋」ということで、百人一首の恋の歌を紹介させて頂きました。
今回も引き続き百人一首の恋の歌を紹介していこうと思います。
百人一首とは藤原定家が百人の人物から一人一首ずつ歌を選び、百首をまとめたものです。どうしても勅命や幕府の命では偏ったこれは藤原定家目線で選ばれ、当時の政治状況に関係なく選んだものとされています。
(個人的な解釈や想像を多く含んでいます)
心にしみる恋の歌7選
天つ風 雲の通ひ路 吹きとじよ をとめの姿 しばしとどめむ
この歌は在原業平、小野小町、文屋康秀、喜撰法師、大伴黒主とともに六歌仙に数えられる、平安時代を代表する歌壇、良岑宗貞(よしみねのむねさだ)またの名を僧正遍昭、の歌です。百人一首の12番に収められています。
この歌は一般的に雑歌とされていますが、個人的には恋の歌だと思っています。
『風よ、強く吹いて、雲の道を閉ざしてくれ!天女の姿をもう少しここで見ていたいから』という感じの歌です。
なぜこの歌を恋の歌と捉えるかというと、自分と重なるから。現代風に個人的(理想)解釈すると「天女」と「彼女」を置き換えてみると、なんとなく通じるものがあるのですね。
現代版訳(個人解釈)だと『風よ、強く吹いて、電車を止めてくれ!ここに居る彼女をもう少しだけここにとどめておきたいから』と聞くと隠された恋の歌に聞こえませんか?
有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし
この歌は百人一首30番の歌で、壬生忠岑の詠んだ歌です。壬生忠岑は壬生氏の家系で、壬生氏といえば平安時代では紀氏や小野氏などと並ぶ和歌の名門の家柄です。
この歌は2つの解釈で捉えることができます。
1つ目は『夜明け前になってしまった。あなたに冷たく追い出されてしまった日から、夜明けがひどく憂鬱だ』というもので切ない歌という解釈。
2つ目は『夜明け前になってしまった。さっきまであなたのぬくもりを直接感じていたので、あなたと別れてから、夜明け前に一人帰る道がとても寒く憂鬱だ。』という、こちらも切ないけれど、どこか幸せな感じのする解釈。
僕的には後者の解釈を取りたいですね。
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほいける
この歌は百人一首35番にあたる紀貫之の歌です。紀氏も平安時代では和歌の名家です。紀貫之といえば『歴史に名を遺したのネカマ』ですね。「方丈記」を当時女性が使っていた、かな文字を使って書き上げたことで有名です。ようは『ネカマ』です。
『あなたはどうでしょうか。変わってしまった故郷では梅の香りだけが、昔と変わらずに私を包んでくれている』という感じの歌です。
とてつもなく切ないです。変わってしまった故郷の中に、人の心を含ませています。彼の恋人の心は変わってしまったか、もしくはもうなくなってしまったか。少なくとも故郷で変わっていないものは梅の花の香りだけ…。悲しくなってきます。でも美しい。和歌で花というと基本的に「桜」のことを指しますが、この場合は「香り」がついていることから、梅を指しています。
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢うこともがな
この歌は百人一首56番にあたる和泉式部の歌です。平安時代一のプレイボーイを在原業平とするならば、和泉式部は平安時代一のビッチです。
彼女は本当に和歌が上手く、彼女が育て上げたであろう、娘の小式部内侍も百人一首に選ばれています。また、当時のモテの最大要素は和歌の上手さなので、いかに自分をよく見せ、男心を刺激するかがモテる女性とモテない女性の分かれ道でした。和泉式部はその点で平安時代で一番と言っても過言でないほどのスキルを持っていました。
この歌は、『私はもうすぐ死んでしまうかもしれません。できるなら、この世での最後の思い出に、あなたにもう一度会いたいものです』という意味の歌です。
死の間際に、会いたいと思ったのは、あなたでした。という必殺技ですね。こんなこと言われて、嬉しくない男なんていませんよね。もう男心を知り尽くした言葉です。
はたして、私が死ぬときに思い浮かべるのは誰なのでしょうか…。
音に聞く 高師の浜の あだ浪は かけじや袖の 濡れにこそすれ
72番の歌で、一見すると高師浜の波が袖を濡らす様子を表現したように見えますが、実は裏があるんです。
この歌の裏の意味は『噂に聞くチャラ男の言葉など、鵜呑みにしないでおきましょう。跡で涙で袖を濡らすのが嫌なので』という意味の歌です。
これは送られた歌への返歌で、チャラ男の口説きに対する華麗で上手い返事です。チャラ男に狙われた時にはこのように返すと良いでしょう!
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ
この歌は百人一首77番にあたる崇徳院の歌です。崇徳院といえば、「怨霊」や「たたり」などが有名ですが、こんな恋の歌も残しています。
『急な川の流れが岩で分かれてもまたひとつに戻るように、たとえ今は分かれても、また一緒になろうよ』というような意味です。
この歌はぜひ遠距離恋愛のカップルへ送りたい歌ですね。日本版ロミオとジュリエット的なノリです。たとえ今は別々でも、いずれまた一緒になろうね。という希望に満ち溢れた歌です。悲劇的な人生を送ることになる崇徳上皇はこんな明るい歌を読んでいたんですね。
来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
この歌は百人一首97番にあたる藤原定家の歌です。
この歌は凄く技巧を凝らした歌で、本歌取りをしていることに加え、松と待つを掛けていたり、恋い焦がれる様子を、夕凪に例えていたり、さすがと言わんばかりです。
藤原定家は平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて活躍した人物で、「小倉百人一首」の選者です。そして「新古今和歌集」の選者でもあり、鎌倉時代の歌壇を代表する人物です。また、歌だけでなく「明月記」など貴重な資料を後世に残しています。
『松帆の浦で焼かれている塩のように、いつまでも来てくれないあなたを、私は待ち焦がれています』といった意味となります。
松帆の浦の夕方の美しい風景と、いつまでも来てくれない恋人を待つ女の子の姿が浮かんでくるような、ストレートでわかりやすい表現です。そして細かな背景や切なくも美しいワンシーンが映像として想像できます。
いかがでしたか?
今回の恋の歌は。どれも傑作揃いで、人恋しくなります。切ない恋の歌や情熱的な歌、そして中には狂気を含む歌など、多彩でとても面白いです。そして当時の人と比べると、自分の口から発する稚拙な言葉たちが恨めしく思えます。当時の人達は顔を見ていない状態で評判を聞き、歌を送り合い、そしてようやく会うことができます。
その点は今の出会い系のような文化ですね。ゆえに歌のスキルを磨き、知的で表現力に富み、ちょっと含みをもたせたような素晴らしい恋の歌が現代にも残っているのですね。
そして、1000年前の貴族も、僕達と同じようなことを考え、好きな人に振り向いてもらうためにアレコレ悩んでいたんだと思うと、彼らがとても身近に感じます。そして思うのは、恋愛に関してはどんなに科学が進歩しても一生ついてまわる問題なんだと感じます。多分恋に関しては1000年後の人間も、同じようなことで一喜一憂しているんでしょうね。
今日はこのへんで!